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日本卓球協会

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特集 2021.04.21
世界卓球界のアンチ・ドーピングの柱、松尾史朗医師が30年間の活動にピリオド

2021年4月20日 イアン・マーシャル記

1991年千葉で行われた世界選手権大会でのドーピングコントロールオフィサーを皮切りに、30年間に渡り世界の卓球界でアンチ・ドーピング活動に従事した松尾史朗医師がITTF(国際卓球連盟)スポーツ医科学委員会のアンチ・ドーピング・チーフを引退した。

ITTF記事: https://www.ittf.com/2021/04/20/three-decades-service-dr-shiro-matsuo-announces-retirement/

近年のメジャースポーツにおいてアンチ・ドーピングは非常に重要視されているが、30年前はまだまだ影薄い分野であった。

「当時のITTFにはアンチ・ドーピングに関する何の規程もなく、自分たちで規程を作って検査を行いました。初めてのことでたいへん苦労したことを覚えています。当時のITTF会長、荻村伊智朗氏、ITTFスポーツ医科学委員会のメンバーであったフランシス・カーン医師、マイケル・スコット医師とともに規程を作成しました」と松尾医師は語る。

そして、1991年世界選手権千葉大会で初のドーピング検査を行うのである。

その後、1998年のツール・ド・フランスでドーピングが発覚し、1999年には世界アンチ・ドーピング機構が誕生する。そして、2000年のシドニーオリンピックからドーピング検査は独立して行われることとなった。

現在までの活動

1年後の2001年には日本アンチ・ドーピング機構が設立され、同年に大阪で行われた世界選手権大会で松尾医師はドーピングコントロールオフィサーを務めた。そして、2019年の中国広州での世界選手権大会までドーピングコントロールオフィサーとして彼の姿は必ず世界選手権大会にあった。

「世界アンチ・ドーピング機構が設立されてから各国のアンチ・ドーピング活動は徐々に整備されており、私の役割も徐々に変わってきました。検査する側ではなく、検査を監督する側になりました」

そして、彼の立場は多くのアンチ・ドーピング活動に従事する者たちへアドバイスを行う立場に変化した。また、従事者のみならず、選手たちへの説明も熱心に行われた。

「重要なことは、選手のことをまず考えるアスリートファーストの考え方です。世界選手権は卓球界では最高峰の大会で、その大会において、ドーピング検査が選手の成績に悪い影響を与えることは避けなければなりません」

2008年から直近まで、ITTFスポーツ医科学委員会の特別職、アンチ・ドーピング・チーフとして世界の卓球界で活動を行う。

ワークショップ

2015年の中国蘇州での世界選手権大会では、アンチ・ドーピング活動では初のワークショップを行い、翌2016年のマレーシア・クアラルンプールの世界選手権大会では、アンチ・ドーピングの歴史と未来という発表へと続いた。

2013年から2018年の間、ITTFTUE(治療使用特例)パネルのチーフとして少なくとも55件以上の対応を行った。

「ITTFがアンチ・ドーピング検査を外部の機関ITA(世界検査機関として2018年に設立)に委託を始めてからも、ITTFのみならずITAのために2年間で100件越えのTUEの対応を行いました」

また、2014年から2019年には、2020年に東京でオリンピックが開催されるにあたり、東京でスポーツ医科学委員会を開催し、世界中から委員と有識者が集い会議を行った。

「卓球界での医科学の発展を強く希望しています。この6年間の会議で、日本の研究者とスポーツ医科学委員会委員との共同研究が6件始動されました」

サポート

札幌に生まれ、65歳、現在は東京在住。

「私が30年間活動してこられたのは、日本卓球協会副会長の前原正浩氏のおかげといっても過言ではありません。彼は私に活動のチャンスを与えてくれ、いつも有益なアドバイスをくれました。彼のサポートと励ましがあったからこそ30年という期間続けて来ることができました」

松尾医師は感謝の意を続ける。

「ITTFスポーツ医科学委員会の委員長、ミラン・コンドリッチ氏と委員メンバーにも深く感謝しています。彼らと共に委員会のメンバーに名前を連ね、活動できたことはたいへん喜ばしいことです。皆さんの今後のご活躍を願って止みません」

スポーツ界における卓球のクリーンなイメージを特に傑出したものにした彼は役割を終え、引退後は家族と過ごすと言う。卓球界からは彼に大きなエールを送りたい。