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特集 2022.01.21
全日本卓球前年度優勝の及川瑞基、自らを語る


Swaythling Club 2021年10号より(年2回刊)
イアン・マーシャル(ITTF エディター)記

Swaythling Club 2021年10月号(ページ58~59より抜粋):https://www.yumpu.com/en/document/read/65890270/online-spread-111-1-96

東京2020オリンピック競技大会において男子団体戦の銅メダルを獲得した日本選手は、水谷隼・丹羽孝希・張本智和の3人であった。そして今、水谷隼の引退宣言により、日本男子代表チームに空きができた。

及川瑞基は次の代表候補者となるだろうか。

彼は確かにパリを視野にいれている「目標は、世界選手権大会と2024年パリオリンピックに参加する事です。」と、及川瑞基は強調した。

1997年6月生まれ、宮城県黒川郡出身の24歳。5歳のころに姉が卓球をするのを見て、自身も卓球を始めた。
彼はこの時代に欠かせない大切な要素であった体力、特に脚力を持っていた。

「普段は川崎市にある木下グループのトレーニングセンターで練習しています。午前中2時間半、午後2時間半で、週25時間くらい練習をしています。」「週に2回ウエイトトレーニングを1時間半やっていて、そのほかに肩やダッシュなどのトレーニングをしています。」と、及川は説明する。

卓球における最高峰の大会である世界選手権への出場を目標として挙げたが、それを達成するために、及川は今の流れを変えられるのか。

東京2020オリンピック競技大会でメダルを獲得した選手たちが世界選手権に初出場したのは、水谷隼15歳(2005上海大会);丹羽孝希14歳(2009横浜大会);張本智和13歳 (2017デュッセルドルフ大会)だった。
及川とは異なり、皆若い時に実りある経験をしている。その他にそれぞれの選手は世界ジュニア選手権でも実績を残している。
水谷はオーストリア・リンツ(2005)で2位、丹羽はバーレーン・マナーマ(2011)で優勝、張本は南アフリカ共和国・ケープタウン(2016)で優勝している。
(*2015年全日本ジュニアチャンピオンの及川は同年フランスで行われた世界ジュニア選手権の日本代表だったが、パリ同時多発テロ事件の影響で日本チームが出場を辞退したため記録が残っていない。)*=JTTA註

重要な年代での進歩

及川瑞基も若い時に成功を収めているが、東京2020オリンピック競技大会を競ったチームメンバー達と比較できるものではなかった。2013年にポルトガル・フンシャルで開催されたITTF世界ジュニアサーキットの男子シングルスで優勝。その後、ITTFワールドツアーU21(男子シングルス)のベラルーシ(2012年)チリ(2014年)オーストラリア(2016)ブルガリア(2017)で優勝。同様に、ITTFチャレンジシリーズのポーランド(2017年)で優勝しスロベニア(2018年)では男子シングルスで優勝を果たした。
これらの結果は、彼が重要な年代で進化し続けていることを示唆しているのか?「スロベニア大会では、一度も対戦をしたことのない相手に勝つことができ、そして勝ち進むごとに調子が良くなっていきました。」と、及川は振り返った。「ベラルーシオープンは、初めて優勝した大会としてよく覚えています。」

彼の歩んできた道の中でもう一つ重要な要素を付け加える必要がある。1月17日(日)、丸善インテックアリーナ大阪(大阪市中央体育館)で彼は日本人選手にとって最高峰の栄誉である天皇杯を高く掲げ2021年をスタートした。及川が2021年全日本卓球選手権大会の男子シングルスを優勝したのである。今までシングルスではベスト16を越えたことはなく、この大会が男子シングルス9回目の挑戦だった。これまで世界タイトル大会に一度も出場したことのない若者が、表彰台の一番上に立った。
この大会における勝利の要因の中には彼がプレッシャーに強いことが挙げられる。日出ずる国の選手にとって、全日本選手権大会は別格の大会であり、優勝すれば、国民的スポーツ選手の仲間入りを意味する。及川は、日本のスポーツ界にとって特別で、非常に高く評価されている大会で優勝したのである。コロナ感染拡大の最中においても実施されたという事実が、どれほどこの大会が格式高いかを物語っている。

大会を無事開催するためにも感染対策を徹底、無観客開催としたが取材カメラマンが少なくなることはなかった。さらに、種目も男女シングルスおよびジュニア男女シングルスの4種目のみであったが、それでも全体で896試合が行われた。

沈黙は金

さらに、ウイルスの感染リスクを減らすため、選手は試合中、大声を出さないように言われていたが、及川には影響はなかった。「身体が軽くて調子が良かったです。私は試合中に声を出すタイプではないので、何ら違和感はありませんでした。」と及川は説明した。

及川のコーチ邱建新は、準々決勝までの間ずっとコーチ席に安心して座っていた。そして及川は、準々決勝で本大会の間違いなく最大の波乱を引き起こした。張本に勝ったのである。「私は、張本にレシーブでチキータをさせないよう徹底し、思いきり試合をすることができました。それから、彼の得意のバックハンド攻撃に注意していました。」と及川は説明した。
張本との試合に勝利した勢いは、失速することなく続き、準決勝では見事に𠮷田雅己にも勝利した。「𠮷田選手よりもバックハンドをより積極的に打ち、レシーブで迷わないようにしました。また、前向きでいることに集中しました。」と強調した。

決勝戦の相手が森薗政崇に決まり、及川は今までの中で最も困難な課題に直面した。試合は、フルゲーム(7ゲームマッチ)を戦い、第6ゲームではマッチポイント1本をしのぎ最終ゲームを迎えた。森薗もたいへん好調で、準決勝では、準々決勝で丹羽孝希を破った田中佑汰に勝利していた。
「森薗選手との対戦では、台の近くにいるようにしました。というのは、台から離れてしまうと、彼に強打のチャンスを与えてしまうからです。」と、及川は説明した。「6ゲーム目のマッチポイントの時は、まだ0対0だと思うように努め、積極的にいこうと自分に言い聞かせました。」

水谷隼は、2019年の10回目の優勝を成し遂げた後、全日本選手権(大阪大会)をはじめ、今後ダブルス種目以外には参加しないこととし出場していなかったが他の主力選手はすべて参加していた。この優勝は、及川のキャリアにとっても大きな節目となった。

及川の卓越したパフォーマンス、更に彼の年齢と全日本選手権でのこれまでの実績から、一転して幸福の種に変わるのか。及川は、お膳立てされた中、成功を収めたわけではない。敗北が決意を強め、大きなチャンスを更に価値のあるものにし、掴み取る可能性を高めるのではないか?

オーストリアのシュラーガーやスウェーデンのピーター・カールソンは、きらびやかなジュニア時代ではなかったものの、世界選手権大会で表彰台の一番上に立つという喜びをかみしめた。及川はそれに続くことができるだろうか。

※Swaythling Club (スウェースリング・クラブ)は、元世界選手権出場者たちが、互いの友情を深め合うことなどを目的として1967年に結成した団体。スウェースリング杯にちなんで、クラブの名称がつけられた。世界ベテラン選手権の主催団体でもあったが、2004年に同クラブが国際卓球連盟(ITTF)の傘下に入り、大会主催者がITTFに変わった。