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周年事業 2022.06.07
日本卓球協会90周年 功労者インタビュー 橋口徳高さん

橋口徳高【日本卓球協会】


2021年に創立90周年を迎えた日本卓球協会は全国47都道府県に点在する協会および連盟、そして36万人に迫る登録会員(2019年度)によって成り立っています。そこで各協会・連盟の安定的な運営や大会運営、練習環境の整備、若年層の育成、シニア層を含む生涯スポーツの普及まで、長年、卓球振興に貢献してこられた功労者の皆さまをご紹介するとともに、お寄せいただいた100周年につながる提言をお伝えして参ります。

(インタビュアー:高樹ミナ/スポーツライター)

中学の部活動指導に38年。地域の指導者を育てる方策を望む

橋口徳高さん
鹿児島県卓球連盟 前理事長

鹿児島県卓球連盟の理事を8年ほど、常任理事を7年ほど務め、その後、理事長を6年いたしました。その間に九州卓球連盟の理事を4年、日本卓球協会では評議委員を2年させていただきました。この度、日本卓球協会の功労者に選ばれ、そういえば大林剛郎さんが会長をされていた時代に金箔だった賞状をパソコンで作れるよう変えてほしいとお願いし、実現したことなどを懐かしく思い出しております。

私は中学時代、バレーボールをやっておりましたが、当時は背が低く、あまり活躍できる見込みがなかったもので、高校では卓球部に入りました。そして、1年生と2年生のときに県大会に出場することができました。

体育の教員になってからは中学校の卓球部で38年間、監督をいたしました。南九州市にある頴娃(えい)中学校で県大会に出場し、鹿児島県の双璧だった中学に勝って優勝。次に南さつま市坊津町の久志中学校に異動し、そこでは全校生徒が30人ちょっと、女子生徒は13人しかいない中で、女子卓球部が全国ホープス大会でベスト8に入り、全国ホープス選抜大会にも3年出場しました。久志は、あの「タマス」の3代目社長・田舛公彦さんの奥さまの生まれ故郷です。そのご縁から何かと応援をいただきまして、ご夫婦そろって試合を見に来て下さったときはびっくりしました。

子どもたちへの指導は自分が若い頃は厳しく、年を取ってからは優しくなりました。50歳を過ぎたあたりから子どもたちの良いところがよく見えるようになり、叱るよりも褒めることが多くなったのです。すると若い頃よりも大会で勝てるようになりました。特に今の子は褒めて、褒めて、褒めちぎるぐらいの方が伸びます。ただ反骨精神のある子も中にはいますから、その子に合った指導があると思います。

中体連(日本中学校体育連盟)の理事をしていた頃には、全国ホープス大会で東京へ行った折、全国から集まった先生方とお酒を酌み交わしながら卓球指導について熱く語り合い、親睦を深めたのも良い思い出です。

卓球界は昨年の東京オリンピックで水谷隼選手と伊藤美誠選手のペアが中国に勝ち、混合ダブルスの金メダルを取って大いに盛り上がりました。それもナショナルホープスを作り強化を積み上げてきた日本卓球協会の先見の明があったからだと思っております。一方で、より卓球の裾野を広げていくには、地域のコミュニティの指導者を育てることが必要だと考えます。私が住む指宿市、枕崎市といったエリアには、昔は良い指導者がいましたけれども、今は指導者が不足しておりますので、かつて小学生や中学高校生を指導していたような人材を活用できるような支援策を日本卓球協会にお考えいただけると良いと思います。

加えて、日本卓球協会から伊藤美誠選手や丹羽孝希選手のプレーのDVDをいただき指導に役立てておりますが、あれを30分や1時間ではなく長時間撮ったものをいただけると選手も指導者も大変助かります。特に技術面の参考DVDがあると良いと思います。