2021年に創立90周年を迎えた日本卓球協会は全国47都道府県に点在する協会および連盟、そして36万人に迫る登録会員(2019年度)によって成り立っています。そこで各協会・連盟の安定的な運営や大会運営、練習環境の整備、若年層の育成、シニア層を含む生涯スポーツの普及まで、長年、卓球振興に貢献してこられた功労者の皆さまをご紹介するとともに、お寄せいただいた100周年につながる提言をお伝えして参ります。
(インタビュアー:高樹ミナ/スポーツライター)
マスターズや世界ベテランで優勝多数。レディース連盟も大阪の底力見せる
池田章子さん
NPO法人 大阪卓球協会
大阪レディース卓球連盟 会長
大阪卓球協会から功労賞をいただいたことはありますけれども、日本卓球協会からというのはまた大変光栄なことだと思っております。今、82歳になりまして、私の卓球歴もずいぶんと長くなりました。中学1年生から高校まで卓球部で、高校卒業後は日本生命でプレーさせてもらい、そこからナンバ一番を経て静岡県の日本楽器で実業団生活を送りました。入団当初は大阪から新幹線で通っていました。
実業団の選手時代、全日本選手権のラン決(ランク決定戦)で負けたのが今でも残念ですが、昭和42年(1976年)のアジア選手権で日本代表に選んでいただき、女子団体金メダルとダブルス銀メダル、そして元世界チャンピオンの長谷川信彦さんと組ませていただいた混合ダブルスでも銀メダルを取れたのは良い思い出です。
32歳で結婚した後は6年ほど卓球を辞めていましたが、子育てが一段落したこともあり、当時の家庭婦人卓球で練習相手を頼まれ、またぼちぼちラケットを握るようになりました。その頃は、私が外に出ることを主人が快く思わなかったものですから、練習は週1回が限度でした。それでも卓球が好きで好きで、何とか時間を工面し、40歳から今まで出場している全日本選手権マスターズの部では20回優勝しております。また、世界ベテラン選手権にも28年前から出場し、年齢別ではありますがシングルスで6回優勝しました。
ちなみに初出場は1996年リレハンメル大会。ノルウェーは本当に綺麗な国で、まるで絵葉書のようでした。それからドイツやフランス、スペインにも行って、試合が終わるとお城巡りや買い物を仲間と一緒に楽しみました。コロナ禍になってからは海外に行けなくなって寂しい限りです。
さて、大阪では卓球協会に会員登録しなくてもレディース連盟に入ることができます。これは大阪レディース連盟の初代会長をされた元世界チャンピオンの江口冨士枝さんから続いております。流れで、女性にも大勢卓球をしてほしいという当時の大阪卓球協会会長・山本弥一郎さんのお考えだったそうです。その江口さんも2021年5月に亡くなられましたが、84歳まで会長をしておられて、その後を私が引き継いだ次第です。
会長といいましても偉大な江口先輩とは違い、私は皆さんに言われたことに「はい」と言うだけですけれども、何しろ大阪レディース連盟はしっかりしていますので、大阪卓球協会と力を合わせて大阪の卓球を盛り立てております。大阪で大会があるとき、例えば昨年まで開かれていた全日本選手権なども大阪レディース連盟が全面的にお手伝いをしました。コロナ禍で軒並み大会が中止となり大変な状況はまだ続いておりますが、これまで全国オーレ(全国レディース大会)を開催してきた経験もございますし、皆、一丸となってこの難局を乗り切って参りたいと思います。
また卓球はボールの回転や動きを目で追い、脳を働かせ、手足を使うスポーツで、なおかつ年を取ってもできますから本当にいいと思います。私もつくづく卓球をやってきて良かったなと、ほぼ一色に近い卓球人生に大変満足しております。