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周年事業 2022.06.07
日本卓球協会90周年 功労者インタビュー 畠山講史郎さん

畠山講史郎【日本卓球協会】


2021年に創立90周年を迎えた日本卓球協会は全国47都道府県に点在する協会および連盟、そして36万人に迫る登録会員(2019年度)によって成り立っています。そこで各協会・連盟の安定的な運営や大会運営、練習環境の整備、若年層の育成、シニア層を含む生涯スポーツの普及まで、長年、卓球振興に貢献してこられた功労者の皆さまをご紹介するとともに、お寄せいただいた100周年につながる提言をお伝えして参ります。

(インタビュアー:高樹ミナ/スポーツライター)

パラ卓球の普及強化に情熱。障害があっても楽しめる卓球に魅せられて

畠山講史郎さん
一般社団法人 日本肢体不自由者卓球協会 前会長

私は長く日本肢体不自由者卓球協会(以下、パラ卓球協会)で活動して参りましたが、この度、加盟団体という立場でありながら、日本卓球協会の功労者として選出していただき、大変感謝しております。

私と卓球との関わりは、小学生の頃、近所の公民館の卓球台で遊んだのをきっかけに、中学校で卓球部に入部したことから始まりました。私はもともと右手が不自由だったのですが、当時は障害者卓球(以下、パラ卓球)の存在を知らず、健常者の大会に参加しておりました。

就職した東京都では、実業団チームの一員として活動していましたが、昭和60年頃からはパラ卓球協会に所属し、東京チームの選手として大会に参加するようになりました。その傍ら、協会のお手伝いをするようになっていきました。

その後はナショナルチームのコーチ・監督として、1996年のアトランタパラリンピック大会を皮切りに、2000年のシドニー大会、2004年のアテネ大会に参加いたしました。そして、2008年には日本肢体不自由者卓球協会(現在のパラ卓球協会)の会長を拝命し、現在までパラ卓球の普及促進に努めております。2013年にオリンピック・パラリンピック東京大会の開催が決定したときの感激は、今でも鮮明に覚えております。日本では明け方近くの時間でしたが、IOCのロゲ会長が「TOKYO」と読み上げたときは震える思いでした。

昨年開催された東京オリンピック・パラリンピック大会では、伊藤槙紀選手がシドニー大会以来、5大会ぶりにメダル(銅)を取るなど、一定の成果を挙げることはできましたが、あと1点で勝てるという惜しい試合が多く、あと一歩の選手強化の大切さを痛感しました。しかしながら、東京でパラリンピック大会を開催できたことは、パラ卓球を皆さんに広く知っていただく大変良い機会だったと捉えています。

パラ卓球は国民の皆さまの理解促進はもちろんのこと、選手強化、スポンサーの獲得など、多くの課題が山積しています。特に選手強化は、これら全ての課題解決のための土台になると考えています。一昔前まで、企業はパラスポーツをCSRの一環として考え、協力して下さっていましたが、今では健常者スポーツと同様、広報戦略に位置づけられている側面があるため、しっかりと試合で結果を残すことが重要となっております。
 
一方で卓球というスポーツは若者からお年寄りまで楽しめることに加え、障害者の方々も楽しめることが大きな魅力です。自分の障害の程度に応じ、目でボールを追い、ラケットでボールを打ち、生きている感覚を味わう。上達してきたら試合にも参加し、仲間を作り、活動の場を広げていく。そんなふうに障害者の方々にとっても生きがいになり得るスポーツではないでしょうか。

私自身、第一線は退きましたが、今後もパラ卓球の普及促進に向けて少しでも貢献していきたいと考えております。