2021年に創立90周年を迎えた日本卓球協会は全国47都道府県に点在する協会および連盟、そして36万人に迫る登録会員(2019年度)によって成り立っています。そこで各協会・連盟の安定的な運営や大会運営、練習環境の整備、若年層の育成、シニア層を含む生涯スポーツの普及まで、長年、卓球振興に貢献してこられた功労者の皆さまをご紹介するとともに、お寄せいただいた100周年につながる提言をお伝えして参ります。
(インタビュアー:高樹ミナ/スポーツライター)
日本学生卓球連盟で半世紀。卓球を通じ時代の変化も感じて
齊藤進さん
一般社団法人 東京都卓球連盟 副会長
今まではどちらかといえば功労者の方々を選出する側にいたものですから、自分が選ばれる側になるとは大変驚いております。私は2015年4月1日付けで(公財)日本卓球協会を定年退職しました。本来ならば1年前に定年のはずが、誕生日が4月5日なものですから、まだ定年(70歳)に達していないとみなされ、ほぼ1年多く役員をやらせいただいたような感じです。
日本卓球協会では財務を担当したせいか、よく金融業界出身だと思われがちですが、大学卒業後は総理府(現在の内閣府)におりまして、結婚を機に妻の家業を継ぎ千葉県浦安市で鋼材の会社を営んでおります。
卓球との繋がりは遅いほうで、高校生になってから。自分はもともと野球少年でしたから、中学高校は野球の強い帝京へ進み中学で野球をしました。ピッチャーをやっていたのですが、体の線がどうにも細く帝京高校では通用しないというわけで卓球部に鞍替えし、大学は帝京には行かず日本大学へ進みました。そこで卓球部に入り、3年生のときから日本学生卓球連盟に携わって、もう半世紀以上の付き合いです。
歳を取って忘れていることも多々ありますが、それでもよく覚えているのは1983年の世界選手権東京大会です。会場の代々木体育館に天皇陛下(現在の上皇)がお出ましになり、試合をほとんど最後まで観戦されました。私どもは当然、最初のセレモニーが終わってすぐお帰りになるものと思い、会場の扉を開けてお待ちしていたところ、その後も会場に残られたことはやはり、私どもの世代にとって「昔では考えられない。時代は変わったんだな」と肌で感じる体験となりました。さらに天皇皇后両陛下(現在の上皇と上皇后)は、2002年度まで足立区の東京武道館が会場だった天皇杯・皇后杯全日本選手権にもお出ましになって、足立区や警察が総動員で厳戒態勢を敷き、それこそマンホールの中まで安全確認をしたのを記憶しております。
世界選手権を含め、私は一度も海外の大会に行ったことがなく、当時、国際卓球連盟の会長をされていた荻村伊智朗さんから、理由をたずねられたことがありました。実は私、飛行機が大の苦手なのです。ただそれは何となく恥ずかしくて言い出せず、次の開催地がさいわい千葉県の幕張だと聞いていたものですから、「次は行きます!」と元気よく答えたら、「次は日本だ! しかも君の住まいの近くじゃないか!」と笑われたなんていうエピソードもあります。
日本卓球協会は次に100周年の大きな節目を迎えます。卓球界のますますの発展には選手が第一、役員はサポートという姿勢が大事ではないでしょうか。強化の現場で汗するコーチ等スタッフの待遇含め、選手ファーストを大切にしていただきたいと思います。