2021年に創立90周年を迎えた日本卓球協会は全国47都道府県に点在する協会および連盟、そして36万人に迫る登録会員(2019年度)によって成り立っています。そこで各協会・連盟の安定的な運営や大会運営、練習環境の整備、若年層の育成、シニア層を含む生涯スポーツの普及まで、長年、卓球振興に貢献してこられた功労者の皆さまをご紹介するとともに、お寄せいただいた100周年につながる提言をお伝えして参ります。
(インタビュアー:高樹ミナ/スポーツライター)
43年間の指導者人生。地方におけるジュニア選手の育成環境が必須
小坂信彦さん
元全国高体連卓球専門部 理事長
これまで長く卓球に携わってきましたが、日本卓球協会から表彰していただくことなど夢にも思っていませんでした。振り返れば日々、高校生の指導にあたった、あっという間の43年間でした。
昭和51年、英語教師として県立遠野農業高校に赴任した私は、学生時代に卓球をしていたこともあって卓球部の指導を任されました。ただ、自分でやるのと人に教えるのは全く別物。最初はどのように指導すれば良いか分からず、指導書を読み、講習会に参加するなどしながら手探りで指導方法を勉強していきました。生徒たちはラケットにボールが当たるか当たらないかぐらいのレベルでしたが、皆、一生懸命練習に取り組んでくれて、私も楽しみながら指導することができました。
2番目に赴任した県立花北商業高校は部活動に熱心な学校でした。私自身もかなりのめり込んで指導にあたり、早朝練習に始まって、夜も9時頃まで練習していたと記憶しています。巡り合わせも良く、インターハイに女子個人戦で出場することができました。学校にとっても、私の卓球の指導者人生においても、これが初のインターハイとなりました。
平成9年には県立水沢高校に赴任し、今度は男子チームでインターハイへ。平成14年から平成16年の3年間連続で出場することができました。公立高校には全国レベルで活躍できる選手もいますし、そうでない選手もいます。ですから、どんなレベルでも部活動を通じ、一人ひとりが悔いのない経験を積めるよう指導することを心掛けています。
現在、高校の部活動は教員の負担軽減という側面もあって、生徒の任意参加の形をとっています。そのため運動部の部員数は年々減少しています。欧米などは地域にクラブスポーツが根づき、ジュニア選手は学校ではなくクラブで活動していますが、日本、特に私の住む地方ではそのような環境は限られていますから、地域レベルでのジュニア選手の受け皿が必要になっていると感じます。
2020年(開催は2021年)東京オリンピックでは、水谷隼・伊藤美誠ペアが混合ダブルスで優勝するなど、日本卓球が悲願を達成し中国の一角を崩すことができました。しかし、まだまだ中国に追いついたとは言えません。日本卓球協会は90周年を迎え、次の100周年を迎えるまでの10年間、中国を破る地力を付けることが至上命題になるでしょう。その鍵を握るのもやはりジュニアの育成ではないでしょうか。日本卓球協会も全日本選手権大会でホープス・カブ・バンビの部を作るなど、低年齢層の育成に力を入れていますが、より一層、地域レベルでの組織的な育成が必要だと感じています。
加えて、日本卓球協会は生涯スポーツとしての卓球の普及という重要ミッションも担っています。私自身、高校から卓球を始め大学4年間、卓球に打ち込みました。選手として活躍できたということはありませんでしたが、卓球というスポーツを通じて多くの友人や仲間を作ることができ、楽しい学生生活を過ごしました。
日本卓球協会はトップアスリートの育成強化だけでなく、地域レベルで卓球に携わる人たちが何を求めているかを丁寧に吸い上げ、対応していくことが組織をより強固にしていくものと考えます。私も微力ながら、その一助になっていければ幸いです。